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人間は錯覚の世界で生きているのか ふろむださんの「人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている」を読みました

あの人は優秀そうだね

あの人はつまらなさそうだなぁ

あの人はとても仕事ができそうだ

あの人は仕事できそうにないね

 

こういった思考はいったいどこからきているんでしょうか?

人は様々な状況で錯覚を起こしながら生きています。

人を判断するとき

買い物をするとき

 

 

たとえ一言もしゃべったことなかったとしてもあの人は真面目そうだとか、優秀そうだとかを判断したりすることが我々にはあります。

なんででしょうね?

だってその人のこと一ミリも知らないのに

 

この商品一位だって。すごくいいものなんだ!

どれだけの中での一位なのか。そもそも使ったことないのになぜその判断を下すのだろう?

 

こうした書いてみれば摩訶不思議な現象を様々な例をもとにして説明をしている一冊です。

おそらくですが大半の人が人と相対したときにもしもそいつが自分よりも何か一点が優れていたり、同じ分野で自分よりも少し詳しかったりするとこいつは自分より全部が優れているとか、こいつはその分野でなんでも知っているとか思うのではないでしょうか?

少し考えれば別段相手のことを大して知ってるわけではないのでこれらは真実かどうかはわかりません。

しかし、なぜか人はそういった印象を抱きます。

つまり錯覚を起こしているわけです。

 

同じような話して優秀な人間に会った時、この人は生まれてからずっとこのような感じで優秀な人なのだろうなというのも同様です。

過去がどうであれ、人は現在の印象で過去も未来も想像します。

 

そして昔は相当仕事できなかった人間が、現在においてもすごく仕事ができるようなっていたりすると過去の記憶すら書き換えられます。

すなわち悪かった記憶よりも良い記憶が優先され、悪かった点は美点へと置き換えられます。

すなわち死ぬほど怒られていたけど、あの人はだれよりも努力をしていたとか。

あれだけ怒られたから成長したのだとかいい話へのすり替えが行われるのです。

 

人は現在の結果から過去を書き換えます。

例えばこのような例が本書で出てきます。

ある町の川が氾濫を起こし相当な被害が出たそうです。

そして川が氾濫する可能性があったのに対策をしなかった市長に批判の声が飛んだそうです。

これに対してある実験が行われています。

一つ目のグループには市がこの対策をしないことが決定された時点で分かっていた情報だけを伝えました。

そして別のグループには氾濫が実際に起こったことを伝えました。

後者のグループには後付けで得た情報をもとに判断するなという話もしていました。

この実験で得られた回答は前者のグループは対策をするべきと答えた人間は24%だったのに対して、後者のグループは56%が対策をするべきと答えたということです。

現在知りえている情報で記憶はおろか冷静な判断ロジックも書き換わるということです。

 

本書での衝撃は人は現在の状況や印象でその過去の記憶とそれに関連するものすら書き換えてしまうという巧妙な能力でした。

ということはある程度過去がどうであれ人の記憶というものはあっさりと変えられてしまうということでもあります。

人に今をどう印象づけるか、ある種それですべて決まってしまうということでもあります。

過去がめちゃくちゃ出来ていた人間でも、前の部署でものすごくスーパーな人間であったとしても、関係なく今できていなかったら、過去すらダメ人間扱いされる可能性すらあります。

この場合、良かった記憶よりも悪い記憶が優先されてしまうからです。

 

だからこそ勘違いさせるのであればできる限り良い方向がよいでしょう。

自分がどんな人間であれ、人は見えているもの感じられることで判断を行います。

 

人はどうしてそれにたいしてそのような評価を抱くのか。

これを読んだ日から世界の見え方や生き方が変わってしまうかもしれません。

 

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている