職場でうまいように自分の考えを伝えられず苦しんでいる人へ
仕事
ほとんどの人にとって生活の糧を得るために必要なことです。
しかし、この仕事により苦しんでいる人たちが多くいることも事実です。
仕事が苦しくなる要因として大きなものは以下のようにあげられると思います。
・人間関係が良くない
・労働時間が長い
大抵は上記の二つのどちらか、もしくはどちらもというケースがあるかなと思ってます。
ただ、おそらく、下の労働時間は長いけど、人間関係は良いとかだったら、わりと楽しんでるんじゃないかということを考えると、職場の辛さの大半は人間関係にあると言えます。
その上の状況として、そこまでしてなお給料が少なかったり、福利厚生が何もなかったり、残業代が出なかったりなどの辛さが生じてきます。
日本人のほとんどが社会に出たときに苦しいと思う要因の一つに、
学生時代はインプット型の生活を過ごし、社会人に出た途端にアウトプット型の生活を求められるからというものがあると考えています。
学生時代は教師から教えられた内容をノートに書いて覚えるということが生活の大半を占めていました。
一方社会に出たあとでは教えてくれるところもありますが、基本的にはノルマとざっくりとした全体目標が伝えられ、明確な答えがない中誰かが教えてくれるわけもなく、自らの頭を持って答えを出しながら進めていかなければならないという生活に変化します。
自分で考えて自分の考えを相手に話すという行為自体を学生時代に経験していない人が多いのです。
もちろんこれは学校の教育方針にもよりますが、自分自身の学生時代を考えてもディスカッションや他の人と何かを話ながら行う授業というのがあまり記憶にありません。
大学時代の一部の選択式の授業の中にそういうものがあって、試しに受講してみましたが、最終的には100人くらいの前でプレゼンをさせられることになり、当日は本気で失神するかと思うくらい緊張してました。
しかし、社会に出ると自分の企画や自分の考えを人の前で発表する機会は本当に腐るほど多く、しかし、ずっと前からやってこなかったためなかなか慣れる行いではありません。
営業職の人間などお客様に何かを説明する機会の多い人間はなおさらそうでしょう。
何がそれを買うことによってメリットとなるのか?
それを買った場合に他と比べて何がいいのか?
社内にいると思われがちな開発職の人間でさえ、どうしてそういう設計なのか。
どうしてそういうコードなのか。どうしてそういうテストをする必要があるのかなど、本当に色々なことを相手に発信し伝えていかなければ、仕事が前に進んでいきません。
こうした過程で育ってきているので、そもそも人に発表したときに色々と言われることとか、自分の考えを相手に話したときに来るリアクションなどに慣れていないのです。
そのため、少しでも自分の嫌なところを疲れたり高圧的に言われたり、自分が痛いと考えてるところを突っ込まれたりすることに異様なほどにストレスを感じるのです。
結局のところこれらも慣れではあります。
しかし、自分自身が今自分の考えをうまく伝えられなかったり、伝えてみたけど色々と言われてしまったりということがありますが、落ち込む必要はあまりないのです。
慣れていないのであれば練習により慣れていくしかありません。
スポーツなんかも最初からうまい人間はほとんどいません。(世の中には稀に天才はいますが。。)
強くなろうと思ったら、体づくりから初めてテクニックを磨くためになんどもなんども同じことを繰り返しやって、それでもなお本番でそれ通りにできることはほとんどありません。
なぜかこういったスポーツなどは練習して強くなっていくイメージがあるのに、
人前で何かを発表したり、人に何かを伝えたりすることに関しては練習もしたことないのに、なんで自分はできないんだろうと考えてしまう人が本当に多いです。
自分もかつてはそうでした。
しかし考えてみれば、自分は学生時代から通してそういったことを訓練した記憶はありません。
得意ではない、できないのは当たり前だったのです。
それではどうして大半の人が練習したこともないそれについていきなりだめだなんて思ってしまうのか?
それは日常で使うからです。
スポーツなどはやろうと決めてやります。
しかし伝えたりすることは普通に生きていればそれなりに機会があります。
伝えることにも様々な種類があって、それはサッカーだけではなく、テニスやバスケット、野球といったスポーツにも色々とあるように伝えることや伝え方、シチュエーションにも実に様々な場面が存在します
にも関わらず我々はこのような行為をコミュニケーションという一言でくくってしまい、たった一点の伝える機会に失敗したことや、たった一点の伝える場面などが苦手だと理由により自分はコミュニケーションが苦手だと思い、そして伝えることに苦労し、
結果的に仕事が苦しいという状況に陥るのです。
伝えるというのは怖いです。
特にどう返ってくるかわからない相手にはなおさらです。そして職場にはそういう相手がたくさんいます。
プライベートでは会いたい相手としか会いませんが、職場ではそうもいきません。
残念な話ですが、僕たちは社会に出るまでアウトプットに関する訓練をする機会をもらえませんでした。
そういうものを選択してきませんでした。
自分の考えをうまく伝えられないのは当たり前だという前提で、
伝えるようにするためにはアウトプットの練習が必要です。
まずは言葉ではなく文字でも良いので、自分の考えをまとめるところからスタートしてみると、案外以外な解決策が出てきたりしますよ。
僕自身はある程度自分に自身がつくまでで社会に出てから6年ほどかかりました。
それまではボロッカス言われて死にそうでした。
少しでも早く、インプットとアウトプットの違いに気づき意識的に学べていたら少しは違ったかもしれません。
少しでも多くの人が早くにこの違いになれることを願っています。
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変化を恐れず前に進むのか、変化を恐れてその場で立ち止まってしまうのか スペンサー・ジョンソンさんの「チーズはどこへ消えた?」を読みました
この物語に登場するのは2匹のネズミと2人の小人です。
名前を2匹のネズミはスニッフとスカリー
2人の小人はヘムとホー
この本はとても短いストーリーですが中に書かれていることは人生を生きる上で大切な考え方の要素が詰まっています。
この物語に登場する2匹と2人はどちらも同じものを求めて迷路をさまよっています。
彼らの求めているものは大好物であるチーズ。
一つは食料にするために。もう一つは幸せになるために、来る日来る日もチーズを求めて迷路を彷徨い続けています。
2匹のネズミたちは単純な思考を持っていたので探し方もいたってシンプル。
スニッフは鼻がよく利くのでチーズの場所をかぎつけようとし、スカリーの方はひたすら突き進んでいく。
そんな探し方をしていました。
この探し方は効率的にはなかったし、道に迷うこともあり、袋小路に突き当たることもしばしばありましたが、それでもそのうち道を見つけては進んでいきます。
2人の小人たちはネズミたちよりも回る頭脳で過去の経験から得た教訓と思考による方法をとり、高度な方法を作り上げていきました。
2人はうまくいくときもありましたが、強力な信念や感情がもの見え方を鈍らせてしまい迷路の中で生きるのがより一層複雑かつ難しいものとなっていました。
彼らの探し方は自分たちの人生に当てはめてみるとこんな感じでいうことができます。
迷路とは自分たちの道。人生に迷うとはよく言いますが、自分たちの人生もこのように迷路で構成されているわけです。
そしてネズミたちの人生の生き方はひたすら自分たちの理想(チーズ)を求めてひたすら試行錯誤を繰り返していきます。
スニッフはそのよく利く鼻で変化を、スカリーはひたすら試すことを繰り返します。
ヘムとホーは考えながら試していきます。過去の経験からこれは大丈夫そう。これはダメ層などの思考がそこには含まれているでしょう。
今生きる大半の人たちはネズミの2人のような生き方はできていないと思います。
とにかくよくなるまで、壁にぶち当たってもすぐさま切り返し、とにかく次々と行動する。変化に敏感になり、変化を探す。
そしてこの2匹と2人はやがてずっと探していた好みのチーズへとたどり着くのです。
そうすると彼らの日課は同じ道を通り、好みのチーズの場所へ行き、ありつく、そんな生活に変化をしました。
スニッフとスカリーは毎朝早起きをしてチーズにありつきます。
ヘムとホーも毎朝そこへ通いチーズにありつきます。
そして、ヘムとホーは次第にいつもよりも遅く起き、ゆっくりとその場所に向かっては、のんびりとチーズにありつく、そんな風に変化をしていきました。
そんな小人たちとは異なり、スニッフとスカリーの2匹は日課を変えず、これまでのようによく利く鼻で変化を調べ、あたりをとにかく走り回って調べて、それが終わってからチーズにありつきました。
やがて、ある日突然にこのチーズがなくなるということが起こったのです。
ある意味で自分の人生に当てはめてみれば、この好みのチーズというのは仕事のことなのだろうか?と考えました。
生きていく上での糧を得る手段。彼らにとってみればそれはチーズですが、我々にとってはお金です。
お金を何かに変えて食料を手に入れたり、自分のやりたいことをやるのです。
同じ道を通り同じ場所に行き、同じことをやって、同じように帰る。
そしてある日状況が忽然と代わり、自分は糧を得る手段を無くしてしまう。
もしくは減らしてしまう。
まさに人生で言えば、そんなことが起こった瞬間であると言えます。
ここからが本書の真の物語でしょう。
ここから2匹と2人の行動がその後にどういった影響をもたらすのかということが本書で述べられており、この部分こそが我々が今いる場所においてこの2匹と2人の登場人物の誰のような行動をとっていて、誰のように変えていかなければならないのかというのがわかります。
選択肢はわずか4つです。
このシンプルさも本書の魅力です。
では見ていきましょう。
ネズミのスニッフとスカリーは好みをチーズを見つけてからも日課を変えませんでした。彼らは毎日のように周辺を探索し、匂いを嗅ぎ、走り回って常に変化がないかを注意していました。
だから彼らはチーズがだんだん古く、そして小さくなっていることに気づいていました。
そんな彼らの行動はとても素早いものでした。
その場所がダメなんだとわかるとただちに準備をし、次のチーズを見つけるための行動に移りました。
彼らは常にそうできるように常に行動をしていました
一方で小人であるヘムとホーです。
彼らは好みのチーズを見つけ慣れてくると次第に日課が変わっていきました。
ただ、ひたすらそこにあるはずのチーズを求め、毎日そこに通い、ただそれを貪る。
毎日の変化には気を使わず、次第に行動するための準備すらしなくなっていきました
彼らは好みのチーズを手に入れた途端に変化を気にせず注意せず、ただそれを繰り返すようになっていきました。
だから彼らはチーズがなくなったときにひどく動揺しました。
なぜないんだ!?と
しばらく呆然とくれたあとで、彼らがやったことはなぜチーズがなくなったのかということの原因の追求でした。
彼らはなぜ自分たちがこんな目の合わないといけないんだという気持ちでいっぱいでした。そして彼らはなくなった原因がわかれば、もしくは時がたてばチーズは戻ってくるのだと信じていました。
状況が変わってしまったのに、彼らは次に行動を移す準備を何もしていませんでした。
そして変化に注意を払うことをしていませんでした。
だからチーズがだんだんと古く、そして小さくなっていたことに気づきませんでした。
さて、普段と同じ生活がずっと続くのだと思っていたら突然それが崩れてしまった。
そんな状況が訪れました。
自分たちは今2匹のネズミたちのように変化に対してすぐさま行動を起こしただちに次の場所を探しに行けるでしょうか?
それともヘムとホーのようにその場に立ち止まり、なぜなんだ?と嘆き、いつか元どおりになるさと考えてしまうでしょうか?
ここからのストーリーは単純です。
変化に対して即座に行動を起こし、次の理想を目指しただちに動き出した2匹のネズミたちは、強力な行動力を有するスカリーと変化に敏感な鼻をもつスニッフの協力により、幾度かの困難を乗り越えたのち、理想と呼べる場所にたどり着きます。
その場に止まることを選択したヘムとホーは来る日も来る日も原因を追求していきます。そして戻ってこないチーズに食料も尽きた今、空腹とストレスでだんだんと弱っていきます。
そんな時にヘムとホーの道は別れていきます。
ヘムは変化を認めませんでした。だからその場に残りいつか戻ってくるかもしれないチーズを待つことを選びました。
ホーはもっと早く動き出さなかった自分を嘲笑いました。
空腹の限界がきて餓死する寸前で彼はようやく次の場所を探し動き出したのです。
やがて2匹のネズミたちに遅れて、理想の場所へとたどり着きます。
その道中にいくつもの言葉を残しながら、迷いながらもたどり着きます。
このお話には人生における重要な考え方が書かれています。
人生とは変化の連続です。どんな状況も全く同じような状況がずっと続くことはありません。
それが良い状況でも悪い状況でもどこかで事態は変化が起こります。
その時に自分たちがとる行動はどれにするべきなのか?
自分は少なくともヘムのように起こった変化を認めず、どうして変化が起こったのかその場で考えても何も解決しないだろうと思いました。
だけど今の自分はスニッフやスカリーのように毎日のように変化に敏感になりながら探索し、いざ変化が起こったら即座に行動ができる準備ができているだろうか?と言われればそんな気はしませんでした。
ホーのように即座に行動を起こさなかった自分を嘲笑い、行動を起こすタイプのような気がしました。
変化することは怖いです。
それも当然です。変化するということはそれまで自分が経験したことがない状況になるということです。
だから変化をした後もそれを認めずに自分自身が変わらないという選択もこれまでとってきたような気がします。
しかし、スニッフとホーのようにこれから起こる変化に備え、準備をし、探索をし、即座に行動を起こせる状態になっておかなければ、いずれ来るであろう変化に耐えられないなと思いました。
この本はとても短いですが、とても今おかれている状況を考えさせられる本です。
何かの合間でもサクッと読めてしまうので、おすすめです。
スニッフやスカリーのように即座に行動に移し、そして理想にたどり着ける人間になっていきたいものです。
- 作者: スペンサージョンソン,Spencer Johnson,門田美鈴
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2000/11/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 11人 クリック: 153回
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ドラクエをプレイする時のようにワクワクして生きる JUNZOさんの「人生ドラクエ化マニュアル」を読みました!
思い出してほしい
小さなコントローラーを片手にワクワクしながら冒険をしていたあの日々を
あの時確かに僕たちは世界平和を取り戻そうとして時間も忘れて、徹夜で冒険を繰り広げゲームに没頭していた
そんな感じの書き出しから始まる本書ですが、このラストにはこんな文が綴られています。
さて、あなたの人生はどうだろう?
ドラクエのようにワクワクするような人生になっているだろうか?
え?会社と自宅の往復で終わってしまっている?
いつもの通りの毎日が繰り返される人生になっている?
何の変哲も刺激もない人生になっている?
「定価5500円のゲームに面白さで負けてどうする!?」
おぉーと思った言葉でしたね。
確かに当時はコントローラー握りしめてワクワクした時間を過ごしてました。
ドラクエは現実世界では味わえない刺激に満ちています。
一方で現実というのは大概は苦痛に満ちた世界です。
実際のところドラクエが面白いことと、人生がドラクエほどワクワクしないことにはいったい何が違うのだ?
というのを突き詰めて考えてまとめたのが本書となっています。
読んでみればああそういうことかと思う話がいくつも載っていて、中には今から実践することもできるような話も満載です。
そもそもドラクエのようにワクワクするゲームで何だ?って話です。
ゲームには必ず以下の要素が存在します。
ゲームの目的
ゲーム内でのルール
敵との楽しい戦い
ドラクエで言えばアレフガルドの平和を取り戻すという目的を達成するために
ドラクエ独自のルールに則った
スライムや竜王との戦いを楽しむためのゲーム
色々と紹介されていますが、ゲームとなのつくものは上記の要素で説明が付けられます。
逆に言えばこの3つの要素を「あるもの」に投入すれば、それはゲーム化できるということになります。
何となくわかってきたと思いますが、つまりこの3つの要素を己の人生に投入することで、人生をゲーム化できるという理論です。
だからこそ、ゲームには必ず上記の設定を作った設定者が存在します。
では人生のこれらの要素の設定者は誰になるべきなのか?
当たり前ですが自分です。自分の人生なのだから自分がこれらの設定者であるべきです。
しかし、日本人の多くは気づかないうちにこの設定者が自分にはなっていません。
誰になっているかと言えば、学校に属している間は学校の校長先生や担任の先生が定めたゴールに向かって、学校が定めたルールに則り、敵(テストや勉強)と戦っています。楽しめるかどうかは人それぞれでしょう。
社会人になってからも上司が設定したゴールに向かって、会社独自のルールに則り、敵(仕事)と戦っています。
気づかないうちに他人の人生を歩んでいるということになるのです。
ならば改めて自分が自分でワクワクするためのゴールを、そこに向かうにあたってのルールを、そして目的達成の障害となる敵を、自ら定める必要があるということになります。
しかし、どうしたらどうして自らのゴールを設定できるのでしょうか?
ドラクエのゲーム目的にはいかのような特徴があります。
だからこそ夢中でプレーできたのです。
・達成することにワクワクやドキドキを感じられるもの
・ロマンを感じるもの
・心から実現したくなる夢
しかしながらすぐさまこれらの要素をもつ自らゴールをルールを夢を思い浮かべられるという人は、そもそも迷ってないでしょう。
自分自身のことを設定するということはなかなかに難しいのです。
そのためやる必要のあることは、今が苦しくてきつかったんだとしても、幼少の頃から今に到るまでで何かにワクワクしていたという経験はあるはずです。
なかったという人は逆に今までやってこなかったことでもいいかもしれません。
そういったリストを作成するのです。
自分はいったい何にワクワクする人間であるのか?
人間は目的というゴールを、自分の夢を自分のもつ知識の中からしか選ぶことができません。
それゆえにあまりないなという人はそういった自分が本当にやりたいものに出会えていないという言い方が正しいのです。
こういうワークはやり始めるまでが9割で、やり始めてしまうと案外夢中になれます。
当然自分がワクワクを見つけるための作業なので、この時間は結構楽しいのです。
始める前までは面倒だな。何もなかったらどうしようかなと思うのですが、
もしもまだ、他人の人生を生きてるなという思いがあるのだとしたら一度はやってみてもいいかもしれません。
ただし、いきなり大金持ちになるとか、プロ野球の選手になるとかの夢を書いたとしても実現が困難であったり、実現するためのイメージがわかなかったりするのでこれではあまりワクワクできません。
もちろん、最終目的を定めるのはいいと思います。
ドラクエでも最終目的は竜王を倒し世界平和を取り戻すことですが、王様から竜王を倒してほしいと言われて旅立って最初のダンジョンが竜王の城とかだったら嫌です。
そもそも全く経験値のない勇者では勝てません。
そういうゲームであったならただのクソゲーで終わっていたでしょう。
だから人生をゲーム化するときも同じです。
少しずつ敵を作るのです。
ドラクエも最初倒すのはスライムです。
大金持ちになりたい人間のもっとも簡単な敵は無駄遣いです。
ならば例えば、今の出費を整理してみるという目的から出発するのもいいかもしれません。
プロ野球選手は年齢によってはもう厳しいということがあると思います。
しかし、野球に関わる仕事であればたくさんあったりしますし、少年野球のコーチなどで別の人に夢を託すという選択もあるかもしれません。
まずは何がやりたいのか、そしてそこに到るまでに達成していかなければならないことは何か。
それらを最小単位でまとめていくというのが人生をゲームのようにワクワクし、面白いと思えるものにすることなのかもしれません。
本書を読むことで、人生をゲームのように楽しめるようになる方法を学べました。
タイトルは人生ドラクエマニュアルといったい何が書かれているんだと思われる本ですが、中身はかなり学びになる内容が詰め込まれていました。
身近なものにそして誰もが好きであるものに例えて、方法論を語る。
僕自身もこんな風に楽しくなれる方法を編み出して、語れるようになっていきたいと思いました。
人生をかつてワクワクしたあの日の冒険のようにより素敵なものにしていきましょう!
人生ドラクエ化マニュアル - 覚醒せよ! 人生は命がけのドラゴンクエストだ! -
- 作者: JUNZO
- 出版社/メーカー: ワニブックス
- 発売日: 2015/04/17
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人の人生には一定のバイオリズムがあり諦めなければ次のステージにいける! 田中克成さんの「成功のバイオリズム 「超進化論」」を読みました
この本は著者さんが経験し、さらに自分だけに起きた現象なのかを確かめるべく、500人以上のいわゆる成功者と呼ばれる人たちにインタビューをし突き止めた人生における共通的なバイオリズムについて書かれた本です。
人生におけるバイオリズム、それは「成長期」から始まり、「停滞期」→「活動期」→「過渡期」と進み、再びステージをあげた状態で「成長期」へと進む。
そんなバイオリズムです。
そしてやることなすこと全てが裏目に出たり、それによって諦めるという選択肢が出てくるのは、この中のうち過渡期にのみ発生すると言います。
人は誰しもがこの過渡期を経験します。
しかし、大抵の人はこの過渡期でやめてしまう。この過渡期を乗り越えた人こそが次のステージへと進み、新たな成長を手にするということを書いています。
実際に著者の方が500人以上のインタビューで0歳から今に到るまで、どの年代でどういうことが起こってきたかを書き起こし、人に起こっていた共通点を見つけ出したものになります。
自分の人生を少し思い返しても、思い当たるところはあるのではないでしょうか?
本当に辛いと考えていた時期にどういう行動をしたか。
諦めたのか?粘ってたえたのか?
何れにせよ言えることは、自分がもしも何かを諦めたりやめたりしているのは、そういう時期ではなかったでしょうか?
逆にそういう時期もあったが、耐えたぞという人については、自分自身は今異なるステージにいるのではないでしょうか?
この過渡期を抜ける選択肢は3つあると言います。
1つ目は、何もしないで時が過ぎるのを待つこと
2つ目は、自らの可能性をここで諦めてしまうこと
3つ目は、「当たって砕けろ」の精神でなりふり構わず前に出ること
この3つ目の選択肢を選べたときにある一種の「覚悟」が決まります。
その覚悟こそが、思ってもみなかった人との出会いや結果に繋がり、次のステージへのブレイクスルーが起こります。
そして次に訪れるのがやることなすことが全てうまくいく、成長期というやつです。
過渡期によりこれまでの価値観やプライド、そして自信が破壊され、上のステージからの救いの手を素直に取ることができる。
そして、わらにもすがる気持ちでつかんだものを話さないように素直に愚直にやり続けることができる。
そんな状況であるからこそ、人は成長し、すでにそのステージにいる人からのアドバイスによる行動は確実に自分自身を引き上げていきます。
しかしながら、残念なことに人は慣れてしまいます。
最初はわらにもすがる思いだったものが、だんだんとそうでは無くなってきてしまう。
そんなときに人には次の状態が生まれます。
だんだんとそこでの成長に慣れてくると、今度は色々とやってきたことに対して承認の欲が生まれてきます。
ここまでやってあげたのにとか自分は大事な予定をおいても時間を作ったのに遅れるなんてとか、要するに有頂天状態に陥ってくる。
成長の鈍化した自らのモチベーションを人からの感謝とか大切に思われていることにより保とうとする姿である。
しかし、そこには自分でコントロールできない外的な要因が含まれている。
こんな風に自分以外の人や物に責任を求め始めてしまう「停滞期」が訪れる。
こうなってくると、次第にやる気やモチベーションは失われていき、人や物のせいにしていくようになる。
そして自分なんてと悲観することも多くなっていく。
この時期にも死にたいとか消えたいなどの感情が過ぎることもあると言います。
しかし、この時点では実際に行動を起こすエネルギーが少ないとも言われます。
ここから誰も助けてくれない。誰も救ってくれないという思いが駆け巡り一転、だったら自分でやるしかないという思いが芽生えます。
そうやって自ら積極的に活動を起こしていく「活動期」に入ります。
しかし、大きなことで一発を狙うだけの自信はこの期にはありません。
だから、目の前にある当たり前のことから手をつけ始めていきます。
整理整頓や案件の整理、挨拶など本当に誰でもできることからです。
そうやってできることの積み重ねにより少しずつ自信を取り戻していき、終えた時にはやがて失速していた行動が加速を始めていきます。
行動が加速を始めると周りからの信頼や評価も上がり、相談事や頼まれごとも増えていく。
しかし、自分自身に自信を取り戻したことで俺が正しいだったり、私が正しいといった傲慢さが戻ってくるようになります。
そして、やがてはその傲慢さ、正しさを押し付けるようになっていきます。
そんな傲慢さは周囲にいた人たちを離れさせていきます。
そしてやがては一人になっていき、再びやることなすことが裏目にでる「過渡期」へと突入してくことになるという話です。
この話から学んだことでもっとも大きかったのは人は誰しもが過渡期にのみ諦める、もしくはやめるなどの部分です。
つまり今もしも自分自身が何かをやめたいだったり、諦めようとしているのであれば、いったん立ち止まって考え見る必要があります。
本当に自分がやりたいことではなく、考えた結果、違うことをやるべきだという判断のもとそれをやめたのであればそれは構わないでしょう。
しかし、今うまくいってないから。今やりたくなくなってしまったからという感情論やキツさでの判断をしようと思っているのであれば、この本のバイオリズムを思い出して欲しいと思います。
今直面している厳しさの先に次のステージが待っています。
本書の著者さんがこの本で伝えたいことは、「諦めないで欲しい」ということ。
本当にどんなときでも諦めなければ必ず人生は好転するのだということを、自分の人生を500人の人たちの人生を聞いて回り解き明かしてくださったのです。
成功のバイオリズム[超進化論]―あきらめなければ人生は必ず好転する―
- 作者: 田中克成
- 出版社/メーカー: きずな出版
- 発売日: 2016/01/08
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これまでで一番心の制御方法として勉強になった本 草薙龍瞬さんの「自分を許せば、ラクになる。ブッダが教えてくれた心の守り方」を読みました
この本はとある様々な怒りが心に渦巻く一人の男のストーリーを軸として、
怒りとはなんなのか?
怒りを解消するにはどうしたらいいのか?
怒らないためにはどうしたらいいのか?
ということを仏教での教えを基に説いた本です。
これまで様々な心に関する本は読みましたが、僕の中ではこの本がもっとも腑に落ちた心の変化の話をきちんと言語化している話で、今でもここで覚えた方法は心が不安定になったり、怒りが生じた場合にそれを抑えるテクニックとして有効的に働いてくれています。
怒りとは?
怒りの原因は刺激+反応により生まれると言います。
どういうことなのかともう少し読み進めてみると、刺激というのは例えばここでは人からイヤミかもしれません
人からのイヤミというのは物理的に解釈すれば空気の振動が耳に伝わり、それが脳に信号を送り言葉として伝わった。
文に起こすとそれだけの現象です。ここまでが刺激となります。
そしてそれに対してそうして理解した言葉をただ単純に言葉として理解しただけであるならばそこに怒りが生まれません。
しかし、そこに怒りで反応した場合にはそこに怒りが生まれます。
当然と思われるかもしれませんが、文字に起こしてみるとこうも言えます。
怒りの原因は空気として伝わった音の解釈に対して、自らが怒りで反応したことで生まれているということになります。
僕自身も文に起こすまでは、自分が怒ったのは誰かに何かを言われたからじゃないのかと思ってましたが、この文章を読んで、なるほど、そういう解釈もある。
それにその解釈の方が自分でコントロールできるんじゃないのかと思ったわけです。
まあ、実際にやれと言われるとなかなか難しい概念ではありますが笑
そしてその反応してしまった怒りという感情はその相手がいなくなったからといってただちに消えるものでもありません。
そこに相手はいないのに何に対して我々は持続的に怒りという感情を持ってしまうのでしょうか?
正解は自らの記憶にある妄想に対してです。
当然ですが、同様の状況で目を閉じてしまえば自分の視界から相手は消えます。
しかし、怒りは消えていないと思います。
目を閉じてなお見えるものは自分の妄想であると言います。
例えばこのときに後ろの人にいきなり今からお前の背中にトロロを流し込んでやるぞって囁かれたとします。
大概の人は、驚くと思います。
ではその一瞬、思い浮かんでいたいやなことを言う人はまだ見えているのでしょうか?
見えていないと思います。
つまるところ別の刺激に対して今度は驚きという反応を返したことで怒りという古い反応が上書きされたのです。
なんとなく怒りをコントロールするすべが見えてきませんか?
ただ、これでも問題は残ります。そうした相手とどうやって関わるべきかモヤモヤするのです。
関わらないで済むならいいかもしれませんが、そうでない場合も多いでしょう。
しかし、「関わり方」と「今の自分の心の問題」は分けて考えることはできるはずです。
そしてこの本にはこうした心の反応をベースにそれをニュートラルにする方法について紹介しています。
瞑想、千歩禅、妄想ウォッチ、怒った出来事を書き出す、といった心の観察や、心の揺さぶりを落ち着かせる手法などです。
現代は以前に比べて自分の心に刺激を送ってくるものは非常に多いとされます。
何かと言えばインターネットの存在です。
僕たちはこの世界に慣れてしまっていますが、ひらけば世界中のあらゆる情報が自分たちの中に流れ込んできます。
それは、自然と嬉しくなるもの、悲しみを覚えるもの、怒りを覚えるものなど様々です。
そうした中で日常でも受ける刺激に心は必要以上に消費を迫られています。
本書で学んだことは、心の反応は先ほどのトロロを背中に流し込むという例の通り、本来であれば一瞬で消えるということです。
しかし、本来であれば一時的な反応であるはずの心に、強い刺激を受けると記憶や感情に残ります。
そうすると今度は心は忘れないようにするために次のような反応をすることになります。怒りを継続するために怒る理由をあれこれと考えたりです。
このように執着するという現象が生まれてしまいます。
この本を読むとこうした状況に対してどうすればいいのか見えるようになり、
少しでも心への負担が減らすように慣れると思います。
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やる気やモチベーションが下がった時にやってほしいこと
こんばんわ!
人生というか一日の状況を左右するほど重要なやる気とかモチベーションというもの。
実際にやる気に満ち溢れているときは一日はものすごく楽しく、あっという間にすぎていって、やることなすこと結構うまくいったりします。
しかし、やる気がなかったり、モチベーションが低かったりするときは一日を過ごすことが苦痛であったり、物事の進行が異様に遅くなったりします。
実際にアイディアが全然出なかったりだとか、作業に着手する気にならなかったりだとか、結構大変な一日になります。
このときに僕自身の体感での話ですが、筋トレをしている日としていない日。
正確にいうと、筋トレを何日かサボっているときと一日数分でも筋トレをした日の気分の差です。
正直な話、相当違います。
実際この筋トレどの程度必要なのという話になるのですが、スクワット10回でもいいです。朝出かける前にスクワットを10回やっただけでも相当な満足感が得られますし、その日はすでに何かを達成したという気持ちで行動を開始できます。
その時点ですでにその日は普段よりもいちだん上の自分でスタートしてるため、
なんというか結構心に余裕ができます。
何か明確に解決しなければならない問題がある方はそちらを優先しても良いでしょう。
ただ、一日のうちにあまり運動する予定がなかったりするのであれば、少しでもそうして自分に負荷をかけてからスタートした方が明らかに一日の生産性が異なります。
できるのであれば毎日の訓練メニューを決めてやっていけるのがもっともいいと思いますが、そもそも筋トレ自体が結構な負荷を伴うため、精神的な余力がないときはやろうと思うだけでも苦しいです。
しかし、これがとりあえず腰の上げ下げ10回だけやるなら、なんとか朝のちょっとした時間でも済ませることができます。
実際にたいかんとしても筋トレが続いているときと続いていないときでは、
その時間あたりの集中力とかやる気やモチベーションに相当な変化が出ます。
もしも、現在謎のやる気不足にかられている方は少しだけでもいいのでそうして体を動かすことを初めて見るといいかもしれません。
もう一つ、やる気やモチベーションが下がっているときって案外緊迫した仕事がなかったりやることがなかったりするときであることがほとんどです。
要するにやらなくてもただちに問題はないというような状態のときに、まだやらなくてお大丈夫という意識が働いた結果、そういう状態が起きているわけです。
直ちにそれをやらないと明日の生活に直結したりとか生命に直結するような場合には、やる気がないモチベーションがわかないという理由でやらないということはないはずなのです。
その理由から筋トレが効果的なのは少ない量でも慣れてないかたにとっては結構な負荷がかかってくれるからです。
負荷がかかったことをやってみると自分の中に気力が湧いてきます。
そしてやりきったという満足感が次の満足感を得体という思いと一緒に体の中にんパワーを作っていきます。
正直筋トレが一番簡単な気がしたので(このレベルにおいては)真っ先に書きましたが、正直やることがルーティンかつある程度の達成感を得られるのであればなんでもいいと思います
例えば、それなりに日々の経験なんかが溜まっている場合にはブログなんかを書いてみるというのも一つの方法かもしれません。
僕自身もこうして書き続けることである種の達成感を得続けています。
まとめるとやる気やモチベーションが落ちるタイミングはただちにやらないとならないことがない状況によって発生しやすく、また、すぐにやらなければならないことがないので行動に写しにくいという現象により、解決もしづらいという状況によって生まれます。
だから、簡単な作業と達成感により解消すればかなりの確率で通常よりも良い一日を送ることができます。
是非ともやる気高く、モチベーションも高い一日を持って楽しい日を過ごしましょう!
人は記憶に残った妄想に対して怒り、不安になり、憂鬱になる。妄想を愉快な方向へと直してみよう
こんばんわ!
今日は人とのコミュニケーションに失敗して落ち込んでしまった場合にどうすればいいのかという点を考えてみたいと思います。
すごく気軽に言えば、気にするな!なんとかなるし、一週間後には覚えてないよ笑
なんですが、実践できる人間はいないと思います。
こんなこと書いてますが、僕自身もうまくコミュニケーションが取れなくてモヤモヤしてしまったり、相手を不機嫌にさせたなーと思っている時はめちゃくちゃ落ち込んで何も手につきません。
人とのコミュニケーションに失敗したと感じる理由は主には二つあると考えていて、
一つは直接的に相手を怒らせてしまった場合です。
この場合、相手は直接的に不快だという感情をあらわにしてきます。
表情に出ていたり、言葉として直接的に言ってきたりです。
もう一つがリアクションが乏しい場合です。
自分が懸命に言葉を投げかけているのに、無関心。自分を見ていない。返事がない。
相槌もなし。
壁と話しているような気分になるのがこの状況です。
いずれの場合もその状況に相対している時は厳しい状況です。
実際のところやられている側からこの状況をひっくり返すには相当な会話スキルが必要ですし、それを持ってしてもひっくり返せるかどうかは分かりません。
ではどうすればいいのか?
怒らせる・不機嫌になるとはどういう状況か
これはこの本の書評を描く時にもう少し詳しくかく予定ですが、
怒りという感情は相手も自分もそうですが、怒ることには原因がありますが、
言葉に対しても相手の表情や態度にしても、そういう反応をとったから怒りとなったと言えます。
言葉は物理的に言ってしまえば、空気の振動です。
怒りはそれに対して怒るという感情で反応したためにそういう怒りという状態を生んでしまいました。
そして態度や怒られた後にその人に対してネガティブになったり、憂鬱な気分になったりしてしまうことがあると思いますが、結局のところそれは自分の生んだ妄想です。
妄想に対してずっと怒りや不安が消えないという状態を作っています。
目の前の相手は自分の脳をコントロールする術など持ち合わせているわけがありません。
自分がそういう反応をすることを選んでいるのです。
こういう時に効果的なのは脳を騙すことなのですが、その状況を思い返すときに相手がずっとめっちゃ笑顔ですごく優しい言葉をかけてくれてたとか、態度が悪かったのを、めっちゃ笑顔で頼ってくれてたとか脳内の記憶を自分で改ざんします。
案外妄想により人間は怒りも不安もできるので逆もまたできてしまいます。
試してみましたが、いつも厳しい表情で何か言ってる上司が、にこやかに言ってきてるという妄想に置き換えただけでだいぶ楽になりました笑
慣れるまでは訓練は必要ですが、このやり方はだいぶ心を楽にしてくれます。
自分の感情を相手によって制御させないコントロールすることができるようになります。
話題を次々と変えてみる!
こちらはリアクションが乏しいパターンの場合です。
相手のリアクションが乏しい理由の一番多いのは、話題に興味がないことです。
現在話している内容や、自分がした質問に対して興味がなければ話を聞く気になりません。
昔の校長先生の話も眠い目をこすってなんとなく聞き飛ばしていたと思います。
今目の前の相手はそれと同じ感覚を味わっています。
正直世の中100人いたら100人が違うことを考えていて、何が話題として刺さるかは分かりません。
私もこの話は人づてに聞いた話ですが、二人で話していていろいろな話をしているのに一切携帯から目を離さず空返事で聞いていたような人がとある話題に切り替わった瞬間にこちらを向きをその後その話題について1時間くらい話だしたというストーリーもありました。
本当に何がその人にとってあたりかってわからないんだなと思った話でした。
相手がものすごくリアクションいい人だったらラッキーです。
そうじゃなかったら、食いつくまで粘りましょう。
どのみちそこで終わったら次はもう会いません。ガンガン行きましょう笑
何れにしても人と接するということはうまく行かないことも多々あります。
少なくともそこにとらわれてやる気やモチベーションが削がれても勿体無いだけです。
反省はするべきですが、記憶に残ったその不快な言動や不快な態度をとるその相手は自分の中だけに存在する妄想です。
この点を忘れずにいき、不快な妄想なら愉快な妄想に置き換えてしまいましょう!