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テクノロジーにより変わる未来とできるようになること 吉藤オリィさんの「サイボーグ時代」を読みました

やりたいことができない

そこに立ちふさがるものを障害と呼びます。

その障害は距離かもしれないし、身体的なものかもしれないし、メンタル的なものかもしれません。

そして人は数々のテクノロジーの進化によりこれらの問題を常に突破をし続けてきました。

 

しかし、この障害の中でも事故やもしくは病気により身体的な自由を無くしてしまった人たちはこれほどテクノロジーが進化した時代においても多くの人は病院で横たわり、何かをやりたくてもできず、そして病院の外へ出れないため人と出会うことができないという現状があります。

人と出会えないということは人に気づいてもらえないということです。

人に気づいてもらえないということは人に必要とされないということです。

そのような状態のことを人は孤独と呼びます。

 

吉藤オリィさんの目指すところはテクノロジーによってこの孤独をなくすことだと言います。

距離があっても、動けない人であっても、自分の代わりにそこに入れる存在があれば、そしてその存在を通じて自分をそこに参加させることができれば、人は誰でもやりたいところへ参加していけるということです。

そこで開発された一つのロボット。名前をOriHime。

遠隔地から人が操作し、そしてカメラを通して周囲の様子を見れて、内蔵されたスピーカーにより現地の音声を聞くことができます。

そして例え喋れない人であっても、手をうごかせなかったりする人であっても、あごを使い、時には目線を用いて文字を入力することにより人とコミュニケーションを取ることができるものです。

 

テクノロジーにより障害を乗り越える

 

番田さんという方がいらっしゃいました。

彼は4歳の時に交通事故で首から上以外のほとんどの自由を奪われ以降20年に渡り、ただ病院のベッドの上で天井を見上げる日々を送ってきたと言います。

そんな時にであったのがこのOriHimeというテクノロジーです。

彼はそこに出会うまでに何千通というメールを送っていました。誰かに自分を気づいてもらうために。

そしてそこに気づいたのが吉藤オリィさんであり、OriHimeでした。

彼はOriHimeを通じて会社に出勤し、あごだけを用いてメールの文面を起こし、そして動けない自分の代わりにOriHimeをその場に存在させることで社会に参加をしました。

講演会までもこなしたそうです。

それだけの状態ながら諦めず、自分が社会に役に立つという意思を失わず、しかし、自身の状態によりそれが叶わなかった。

それを叶えたのがこのOriHimeというテクノロジーでした。

すごいことはこの出会いまでに20年以上がかかったにも関わらず彼が諦めなかったことだと思います。

番田さんはこの20年間、明日一日を生きるために何もするなという人生を送ってきました。

しかし、そうではなく明日死んでもいいから今日一日好きなことをやりたい。

これが彼の思いでした。

 

ありがとうは言いすぎると負債となる

ありがとうという言葉は人に何かをしてもらったりした時の感謝の言葉です。

しかし、このありがとうという言葉は人にずっと何かをしてもらっているとある日、いつもすみませんや申し訳ありませんという言葉に変わっていきます。

ずっとやってもらっているということが罪の意識に変わってきてしまうということです。

誰かに何かをやり続けてもらう日は人間誰しも可能性があるものです。

人はずっと今の身体能力を維持することはできません。

人間は老いていくものだからです。

それとは関係なしにある日突然病気になってしまったり、事故に遭ってしまったりした時に人の助けなしに生きることができなくなるかもしれません。

その時に自分ができる可能性を広げておくことは現代においてはひどく有効です。

上記に記したOriHimeは構想ではなくすでに商品化され、実際に幾多もの人がそれを使い社会に参戦しているものでもあります。

だから、今の世の中はたとえそのようなことになったとしても自分以外の何かを媒体とし、動けなくなっても社会への貢献は可能だということです。

しかし、こうしたものが世の中にあることは大勢の人は知りません。

テクノロジーの進化に対するアンテナは高く貼っておくべきだと主張されています。

 

自分には何ができないのか?

やりたいことが明確ではない場合にじゃあ自分は何ができないのかという方向で考えてみるのは面白い。

できないがあるからじゃあそれをどうしたらできるようになるかを考えることは明確なソリューションを生み出すきっかけとなるからだ。

面白いことにこれできないな、じゃあ調べてみるかと調べ始めると案外あっさりこれでできるんじゃないだろうか?

というのが見つかったりする。目的を持つと人はそれ専用にアンテナが立つためその情報を拾いやすいのである。

見つからなくてもじゃあどうすればいいんだろう?もっと考えるようになる。

結局のこれまでのテクノロジーの進化もベースはその考えである。

できないことをできるようになろうとして色々なことを考えてきた結果、今実に様々なものが生み出されている。

できないにも解決策は色々とある。

わかりやすいのは努力すること。そして誰かできる人に頼ること。

そして3つ目ができないことを受け入れた上で工夫すること。この3つ目が選べた時、人は何かを開発したり、そこまで行かずとも生活の中でできるうる限りの方法で克服してきた。

オリィさんはペンはなくすものだと割り切り、買うときは3本買うそうです。

単純になくす確率が1/3となって、見つかる確率が3倍だからです。

実際に聞いてみると納得できるようなできないような。しかし面白い考え方だなと思いました。

 

テクノロジーの進化はもはや自分がその場にいなくても、あたかもそこにいるかのようにに振る舞い、そして実行してくれるものが存在します。

だとしたら肉体というのはどこまで必要なんでしょうか?

 

日々進化するテクノロジーを前に我々にも人生の戦略を考えていかなくてはなりません。

テクノロジーによりどんどんと肉体的な差はなくなり、ひいては能力的な差も埋まっていくでしょう。

昨今言われているベーシックインカムという考え方を元に働くことすら自分の意思となったとしたら、人は何を目的として生きていくのか。

そのときにつけておくべき習慣として6つのことを挙げられています。

どんな生き方をするか自分で決める習慣を持つこと

働くことすら自分の意思になるならばお金を払ってでも自分がやりたいことは何なのか考えそれを仕事にする

そしてやりたいことのためにそれらをアウトプットする習慣を身に着ける。アウトプットする中で自分の足りないものが見えてくる。それからインプットをするということ。

新しいことをやることは他人に即座に認められないということである。バカにされたら歓迎しよう

テクノロジーの進化によりしなければならないことは少なくなっていく。その時に自分をいかに制御し、目的に向かわせられるか自己制御の方法を考える。

テクノロジーの時代もはや年齢や社歴という実力とは関係のない曖昧なものは必要ない社会になる。若者に弟子入りし、そんな彼らを応援するという生き方も生きがいになるかもしれません。

 

よく人は老後のためにと言います。

しかし、老後がくるという保証はどこにもなく、老後まで自分たちが自由に五体満足であるという保証もありません。

そんなときに自分はどう生きるべきか、そしてそんな状態になったときにどうするかという意思はもち情報を集めて、考えておくことは必要なことだと思います。

今自分は何がやりたいのか、何のために生きるのか。そのことをもっと意識することが必要だと思いました。

 

本書の話はテクノロジーにより変わる未来とそしてそれにより我々が考えておかなくてはならないことを強く意識させてくれる本です。

それと同時にこんなことができるようになっているのか!と感動する本でもあります。

ぜひ一度読んでみることをお勧めいたします!

 

サイボーグ時代 ~リアルとネットが融合する世界でやりたいことを実現する人生の戦略~

サイボーグ時代 ~リアルとネットが融合する世界でやりたいことを実現する人生の戦略~

 

 

 

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